きつねのきもち

「いや、私は脱がないからな?………ノアベルト」
「うんうん。でも試してみるのは良いんじゃないかなあ……」

 相変わらず、酔うと脱ぎ始める魔物であったが、今回はエーダリアの隣に座っていたせいか、犠牲者は絞られていた。
 指を滑らせるだけでボタンを外せるというのは魔術なのか技術なのか、エーダリアでも区別がつけられない。形の良い指先に見惚れていたら、既にボタンは全部外され、上着を肩から剥ぎ取られているところであった。
 慌ててボタンを留め直すが、それも端から外されてしまい、あっさりと胸元まで服を肌蹴られている。
 幸いにもネアはおらず、肌蹴られてもエーダリアが恥ずかしいと思う程度の被害で済んではいるのだが、それにしても、だ。

「ノアベルト、脱がないと言っているではないか」
「解放感を味わったらもう一度着ればいいんじゃないかな……」

 ぽわぽわとしながらも的確にボタンを外すのはボタン外しの魔物であったろうか、それとも狐であったろうか。
 困惑するまま攻防を続けていたのだが、ぺいっと前を肌蹴られてしまい、いつの間に脱いだのか、やはりほぼ全裸なノアベルトに持ち上げられてしまう。

「ほら、こうやってくっついていれば安全だし、何より温かいよね」
「ま、待て。待ってくれ、ノアベルト………私の服にはそもそもお前の守護が……」

 ぎゅむ、と胸元に顔を押し付けられ、気恥ずかしさとその温度におろおろしていると、ふっと笑う気配と共に顔を上げたノアベルトがそっと口付けてくる。

「……エーダリアにも、祝福をね。簡単に死んだりしないように……ヒルドにもしているけれど、僕の家族たちは簡単に損なわれちゃだめだよ」
「…………ノアベルト………」

 あんな思いはもうしたくないからね、とウィームが戦場になった時の事を思い出したのか、ひやりとするほど酷薄な目付きをしている。そんな事になって欲しくはないと、エーダリアを始めとしたリーエンベルクの住人たちは共に考えているのだが、そして今や逃げ込める場所として影絵の城すらあるのだが、記憶を保持したままの魔物は、二度とそんな事にはしないとリーエンベルクの住人たちに祝福をばら撒いているのだった。

「私も、ヒルドも、騎士たちも………お前の祝福に助けられているのだな」

 心の奥底から湧き上がる感情のままに、胸元にある白い髪を撫でると、ノアベルトはとても無防備な表情で、青紫色の瞳をきらきらと輝かせていた。
 艶々した白い髪は狐よりはもふもふ感が少ないが、けれど手触りは良い。ふと狐にするように、もう一度撫でると、ノアベルトはくしゃくしゃになってしまう。

「だ、大丈夫かノアベルト……その、重いのなら下ろしてくれても大丈夫なのだぞ?」
「おろしたくないなあ………うん、放したりしないからね」
「いや、服も着たいのだが………」
「今ならシルの気持ちがわかるかも………なんでも買ってあげるって言っちゃいそうだよね」
「………ノアベルト、やはり具合でも悪いのではないか」
「ありゃ、心配されてるぞ……うん、僕は気分が良いだけだからね、一緒に寝る?」

 相変わらず狐の表情で共寝を言い出されるが、この魔物は多分に狐に戻ってしまうのだろう、とボタンを閉めながらエーダリアは考える。考えるがしかし。

「ネイ?」

 怖い保護者がそろそろ来るだろうとは思っていたのだ。
 そしてほぼ全裸の魔物と、半裸の自分。これはもしや誤解を招く状況なのではないか、と愕然としたエーダリアを抱え、ノアベルトはぽてぽてと怖い顔の妖精に歩み寄る。ああ叱られてしまう、とはらはらしつつ見守っていると、徐にヒルドに手渡されてしまい、エーダリアは混乱する。

「ヒルドも一緒に寝よう?」
「は?……ネイ、なぜエーダリア様の服を剥ぐのですか」

 怖い目で塩の魔物を叱るヒルドに大事に抱えられたまま、成り行きを見守るエーダリアは、更にヒルドごと抱え上げられてしまい、目を見開いた。

「うん、今夜はもう執務も終わってるよね。それに気分がいいからね……みんな祝福しちゃおうと思ってさ」
「ネイ………それはわかりましたから、下ろしてください」
「うーん、でもほら、守護は深めた方が良いと思うよ?」

 先程のぽてぽてと歩いていたのは幻覚かと思うほどスムーズに、しかも妖精の上に人間を一人、片腕で抱えたままでノアベルトはどんどんと歩を進め、あっという間に離宮へと入り込んでいた。
 こんこん、とドアをノックするので、こんな時間にこんな格好で訪ねて大丈夫なのかと聞くと、いつも入れてくれるよ、とふわふわと答えが返ってくる。

「どうしました、狐さ……ノア?」
「こんばんは、ネア。シルは寝ちゃったかな?」
「ディノにご用なのです?……それと、その……服を着るのだ!」
「ありゃ、怒られたぞ……」
「それはそうでしょうね……ネイ、下ろしてください」
「ヒルドさん!?エーダリア様まで……ノア、酔ってますね?」

 わいわいと話していると、奥から何事かと万象の魔物まで出てくるのが見えた。
 やはりこの状況はよろしくないと思い、エーダリアは事態の収集を考える。

「ノアベルト、まずは私達を下ろしてはもらえないだろうか」
「わーお、僕の契約者が薄情だぞ」
「いや、ここで薄情と言われてもだな……その、ディノやネアの前でこの格好は……」

 エーダリアがそこまで言ったところで、塩の魔物はほわほわと笑みながらネアをもう片方の腕に持ち上げてしまう。

「む?いきなりの持ち上げは禁止ですよ?」
「うん、少しだけ……はい、シル」

 大事そうにネアをシルハーンの腕に抱かせ、そして。

「ノアベルト…………」
「まあ、ディノまで持ち上げてしまうのです?」

 片腕にヒルドとその腕に抱かせたエーダリア、もう片腕にディノとその腕に抱かせたネアを抱え、塩の魔物は嬉しそうに微笑んだ。

「うん、これでいいや。僕の大事なものは、ちゃんとこの腕の中だ」
「まあ、ノアは大事なものを集めにきたのですか?」
「うん、やっぱり大事なものは大事だからね。きちんと守らなくちゃだよね」
「ノアベルトが………」
「いや……ネイ、その……だな………」
「うん、こりゃいいや。みんなで一緒に寝ようか!リーエンベルクなら広間の2つや3つ、出してくれると思うんだ」
「ぎゃ!両手が塞がっているのに服を脱ぐのはやめるのだ!」
「ネイ?エーダリア様の服まで脱がせようとするのはやめなさい。魔術の無駄遣いでしょう」
「高位の相手からの祝福は受け取っておくべきだよ?」
「むぎゃふ!いきなりしくふくはやめるのだ!」

 大事なものを両腕に抱え、塩の魔物は嫣然と笑む。
 如何に狐のように振る舞い、狐として生活していても、中身はこの長命老獪なはずの魔物なのだ。

 魔物のはず、なのだ……。

 エーダリアの困惑を他所に、リーエンベルクの家族たちは今夜も楽しく過ごしたのだった。

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